貧者の一灯ブログ

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貧者の一灯・歴史への訪問















伍子胥は、紅花の言葉に考える仕草をしてみせた。
そして彼はひとつの結論を導き出した。


それは、自分自身に向けた内省的な言葉であった。


「私は、結局楚を滅ぼすことができなかった。そ
ればかりか楚の平王をこの手でうち殺すことも出
来ずじまいだった。


出来たことと言えば、その死体に鞭打ったこと
ばかり……。なんら意味のないことだ。


国を憎んだこの私がやり遂げたことは、まったく
何もないと言っていいだろう。それに対して人を
愛した包胥は、楚を救い、幾千幾万の人民を救った。


我々の争いは、彼の勝利だと言えるだろう。


私は、今後包胥の生き方を学びたいと思っている」  
ここに包胥の唱える「道」の信奉者が、またひと
り誕生した。


「現在の呉は越に勝利し、勢力的には絶頂期にあ
ると言っていいだろう。しかし、私としてはその
絶頂期ゆえの慢心が気になるのだ。


呉王は、越王の裏の意図を深く読み取ろうとせず、
これを生かしている。


あれは……私が見るに、この私と同じ復讐の鬼だ。
残酷なようでも、可能なうちにその意図をくじか
ねばならない」  


奮揚は、これに尋ねた。


「なぜ、越王が復讐の鬼だと断じることができる
のか」  当然の質問であろう。


しかしここで伍子胥は信じられない返答をした。


「あの人相だ。長頸烏喙(首が長く、口がくちば
しのようにとがっている)の相を持つ人物は、一
般に恨みがましい」


「たった、それだけの理由で……!」  


伍子胥としては、内なる疑惑を理由とするよりは、
外見を理由にした方が、まだ説得力があると思っ
たのだろう。しかし、これは失敗に終わった。


奮揚は信じられないとでも言いたそうな表情をし、
紅花に至っては、その眼差しから自分に対しての
軽蔑さえも感じられた。


説明の必要を感じた伍子胥は、補足するように語
を継いだ。 「越王勾践の現在は、厩舎の清掃係だ。


これは奴隷に与えられる仕事だが、彼はそれに
不平も漏らさず、毎日いそしんでいる。呉王や
太宰嚭は、このことに感銘を受けているようだが、
私に言わせれば、これこそが怪しい。…


…人が屈辱に耐えようとするのは、その先にそれ
を晴らす機会があるからなのだ。


もし、その機会がないのであれば、人はすぐさま
叛乱を起こす」 「…………」


「呉王や太宰嚭は越の重臣である文種や范蠡ら
にかどわかされて、その事実に気付いていない。


つまり、越が美女や宝物を呉に送り届けるのは、
敗者としての当然の行為だと考えているのだ。


しかし、実際は違う。


彼らは呉国を骨抜きにして、いずれは越王を釈
放するように画策しているのだ。それは、現状
を覆すためだ。


残念ながらいまの呉国には、それをわかる奴が
いない」  


越は、呉に比べて長期的な視野を持っていたと言
うことができよう。


越が呉王や太宰嚭に私的に贈り物をしているとい
う事実は、奮揚にとっては初めて聞くことであった。


私的な贈り物とは、「賄まいない」に他ならない。  


伍子胥が越に対してことさら嫌悪感を示すのは、
実はこのことに理由があったようだ。…










※…武田邦彦メルマガ


地球温暖化の原因物質として二酸化炭素が話題に
なっている。そして、「動物は呼吸をして二酸化
炭素を出し、その分、植物が二酸化炭素を吸収し
て光合成を行い、酸素を出している。」と錯覚し
ている人が多い。  


この錯覚に乗じた訳ではないだろうが、二酸化炭
素の問題をテコに森林の保護などを進めようとす
る役所や団体が「森林が二酸化炭素を吸収する」
と言っているので、ややこしくなっている。


でも特に若い人が世の中の「補助金争い」のため
に環境に対して間違った知識を持つのは感心しな
いので、少し解説を加えることにした。  


植物は、大気中にある二酸化炭素を吸収して光合
成を行い、「還元」してセルロースなどの「還元
された炭素」を合成する。


「還元」という言葉が少し難しいが、内容は簡単
で二酸化炭素という酸素と炭素が結合した化合物
が、炭素と酸素に分かれると言って良い。  


成長期の植物は、その「還元された炭素」で体を
作り、酸素を放出する。


成長が止まると体を大きくする必要が無いので、
毎日、自分で還元された炭素を作り、それをも
う一度、酸素で燃やして生活をする。


これが「定常状態の植物」で、見かけ上、二酸化
炭素も酸素も放出しない。  


やがて、その植物も老化し、体は少しずつ小さく
なり、遂にその生命が終わると微生物が植物の体
(還元された炭素)を分解(酸化)して植物の体
は土に帰り、かつてその植物が若い頃に吸収した
二酸化炭素と同じ量の二酸化炭素を放出して終わ
る。自然とはかくのごときものである。  


ところで動物はどうか?動物は光合成をせず、呼
吸だけをするので一生、二酸化炭素を出し続ける。


もし植物が一生を通じて二酸化炭素の収支がプラ
スマイナス・ゼロなら動物が出す二酸化炭素の分
だけ、地球上に二酸化炭素が増えるじゃないか?
と思う人もいる。  



空気中の二酸化炭素は植物に吸収され、植物が死
んだら微生物の体に移り、やがて二酸化炭素になる。


そして動物というのは「従属的」なものだから、
植物の体を食べて動物の体を作り、死んだら植
物と同じように微生物によって分解される。  


つまり「二酸化炭素の出入り」のような基本的な
ことを考える時には、「動物」というのは「植物
に寄生した生物」のようなものであり、


これを「従属栄養」という。


つまり動物というのは独立していない子供のよ
うなものであって、親としての植物の体の一部
なのである。  


動物が吐き出す二酸化炭素は、まだ天寿を全う
していない植物の体を少し早めに二酸化炭素に
しているに過ぎない。


私たちが野菜を全部食べた場合には、その野菜
の体は我々の体の中で2,3日の内には二酸化炭素
になる。  


ところが、人間は一番傲慢だが、動物も得てして
傲慢なもので、自分たちが植物に寄生をしている
ことが判らない。


その典型的な動物が「シカ」と「人間」である。


シカは目の前にある植物を全部食べ尽くして大量
に餓死することがある。


そして、現代の環境問題は人間がシカと同じよう
に、地球が有限で、酸素も二酸化炭素も有限、石
油石炭も有限であることを知らずに、シカのよう
に目の前にあるから食べるということしか出来な
いところにある。


動物でもオオカミ、ライオンなどは限界を知って
いて、持続的生活をしている。  


この話はもう一つ「なぜ、日本の専門家が「森林
が二酸化炭素を吸収する」と間違ったことを言う
のか?」という質問にも答えなければならないが、
それは止めにしたい。


これ以上、人間の批判をしたくないのです。…