貧者の一灯ブログ

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鬼谷の教え:この作品は史実をモチーフとしたフィクションです。
鬼谷きこくとは江南の陳国に生まれた人物で、弁論の術を学問と
して体系化し、 それを書物に著したのだという。


 (四)


大梁から斉の臨淄へ向かう道中を、鄒忌は馬車を使った。孫武
の子孫だというその男を荷馬車に載せ、無造作に横たわらせた
まま、道を急いだ。


自身は客車に座っていたが、その男のことを気に留めることは、
あまりなかった。しかし一行が休憩を取り、改めて鄒忌が客車
に座ろうとしたところ、その男はすでに自分の席を占領してい
たのである。鄒忌は驚いた。


「お前……どういうつもりだ。そこをどけ!」


珍しく激怒した鄒忌であったが、その男は意に介した様子を見せ
ない。むしろ自分を荷台に放置した鄒忌を責めるような口調で言
い放った。


「先に俺は孫武の末裔だと言ったはずだったが、貴様にはその意
味がわからないのか。


客車に乗るのはお前ではなく、むしろ俺の方だろう。文字通り客
なのだからな」


なんという、嫌な奴だ。鄒忌はそう思ったが、その男の自己主張
はまだ続く。


「俺のことは、孫臏と呼んで欲しい。臏刑を受けた俺にとっては
ちょうどよい名だ。後世にも大きな印象を残すに違いない。…


俺は、この刑を魏将龐涓から受けた。この先、あの男をこの孫臏
がどうやって倒すか、その記録とともにこの名は人々の記憶に残
るだろうな」


「つまり、お前は仕返しがしたいのだな。それにしてもその体で
まだ戦うつもりなのか」


「自らが剣や矛を手に取って戦うだけが、戦争ではない。むしろ
それは兵卒の仕事であって、大きな構想を持って戦う者には及ば
ない。


龐涓は猛将として名をあげたが、弱点はそこにある。実際の戦闘
には大きな力を発揮するが、奴は自分がなんのために戦っている
のかを理解していない。単に、戦わされているのだ」


「理解していれば勝てるというわけでもなかろう。龐涓の武勇は
天下随一と聞く。魏軍の兵は彼の教えをもとに個の戦闘力が高い
というぞ。彼らがひとりで十人を斬り殺せば、その分相手は不利
になって……数を減らして消滅するだろう」


「大事なのは戦略眼だよ。たとえ個人的武勇に優れていたとしても、
それを効果的に生かすためには戦略が必要だ。裏を返せば、戦略の
ない相手には簡単に勝つことができる。しかし、貴様にそれを説明
しても無駄だろうな。陰陽の理論など……」


馬車は孫臏を椅子に座らせたまま、発車した。鄒忌はその横に立っ
たままである。美貌に苛立ちの表情を浮かべながら、鄒忌はその屈
辱を受け入れるしかなかった。なぜなら両脚のない相手を殴打する
ことは、彼の美意識に反したからである。


「孫臏とやら、お前には心を許せる友人などいないだろう?」
鄒忌は苛立ち紛れにそのような質問をした。


「いない。なぜそのようなことを聞く?」


「いや、私が龐涓の立場だったら、お前の両腕も斬り落としてやる
と思ったまでだ。お前は、非常に嫌な男だ」


孫臏はそれに薄ら笑いを浮かべながら、言い返した。「いまに斉の
国民は俺のことを英雄視することになるだろうさ。あんたも含めて」


「……だからお前は嫌な奴だと言うのだ」


結局鄒忌は孫臏を臨淄まで連れ帰った。しかし彼はすでに孫臏を救
ったことを後悔していたので、臨淄に到着して早々、ある人物に引
き渡すことを心に決めていた。


田忌でんきは斉の将軍であり、領国の防衛に全責任を負っている。
体格は頑健であり、見た目も無骨な男であるが、君主と同じ氏を持
ち、高貴な家柄に生まれたという事実を持っていた。


このため、正反対の立場にある鄒忌とは折り合いが悪い。たいした
家柄に生まれたわけでもないのに、見た目は美しく、洗練された鄒
忌を見るたびに、どうしても軽薄な印象を受けるのである。


一方鄒忌は田忌のことを、彼の醸し出す暴力的な印象を野暮だと評
す。家柄は由緒正しいにもかかわらず、それに見合った教育を受け
ていない、と言うのだ。


田忌はそれを知っていたが、戦乱の時代に見た目の洗練度など必要
ないと周囲には主張し続けた。事実、この時代に話し合いで政治的
問題が解決された事例はないに等しい。田忌を支持する者たちは、
それを声高に叫んだ。


しかし鄒忌は、そんなことを言っているからいつまで経っても戦乱
が終わらないのだ、と言う。彼は見た目の端麗さもあり、世の女性
から圧倒的な支持を受けていた。そのことも田忌には気に入らなか
ったが、社会的に影響力の少ない女性たちから支持を得ても、実際
に得るものは少ないだろうと思って我慢していた。


二人の会見は臨淄の城外で行われた。にもかかわらず、周囲には
鄒忌をひと目見ようとする女たちが群れ集まって、田忌はそのな
かで孤軍奮闘を強いられる形となった。


「将軍ご自身がいらっしゃるとは思いもよりませんでした」


「お前が呼んだのだろう。使者が言うには、会わせたい人物がいる
とか……。早急に引き合わせよ」


言外に、用事を済ませて早く目の前から消えろと伝えている。田忌
は、鄒忌の声を聞くだけでも虫唾が走る、と人に話していた。鄒忌
もその話を聞いたことがあった。


それにしても、ひどい顔だ。目の前にある田忌の顔を、鄒忌は心の中
で淡々と評した。どう生まれついたら、このような下品な顔に生まれ
るのだろう、と。


髭の生え方は無造作極まりなく、目の周りはどす黒い。その中央から
放たれる眼光はいやらしく輝き、近づく者に威圧を加える。許せない
のは、そのような特徴に本人が誇りを持っていることだ。


田忌は、自らの武人としての激しい人生が、人も恐れる険しい表情を
作り出したのだと自負しているのだ。


「馬車の中にその男はいますが、事情があって彼は自分で歩くことが
できません。そういうわけなので、どうか車内を覗いてやってくださ
い。本人は、自分のことを孫武の末裔だと称しています」



「孫武の末裔だと? あの孫武の……本当か」


「確証はございません。道中ではそれを確かめる方法もなく……」会話
も終わらぬうちに、田忌は客車の中をのぞき込んでいた。


「脚がないではないか。貴様、罪人か」問われた孫臏は不敵なまなざし
で、田忌を見据えた。


「俺の両脚を斬った奴は、魏将龐涓だ。確かに俺は、魏国にとっては罪
人であるかもしれぬ。が、斉にとってはそうではない。むしろ、歓待し
てもらいたいものだな」


田忌は馬車の中に孫臏を残したまま、鄒忌を振り返り、言った。


「中で何か意味のわからないことをほざいている奴がいるが……どう
いうわけだ。説明してもらおう」


田忌は多少困惑しているようであった。相手は無位無官の男……自分
に対してこのような口の利き方をする人物に、彼は出会ったことがな
かったのである。


鄒忌は心の中でほくそ笑んだが、表面上は田忌に同情する姿勢を示した。
「この男は、ひどく礼儀をわきまえない奴ですが、兵学には長けている
ようです。


使いようによっては、将軍の補佐役としてよい働きをするのではないか
と存じます。あなた方が望む斉国の覇業への助けになる存在かもしれま
せん。この男を将軍にお引き渡し致します」


鄒忌は田忌を嫌うと同様に、孫臏をも嫌った。彼の行為はある種の厄介
払いであり、責任逃れとも言えるものである。


しかし、結果的にこの引き合わせが覇権国である魏を長く苦しめ、斉を
強める一因となったのである。…  









ベッドの上でうずくまりながら、私は次の発作を待ち
構えていた。


最初の腎臓結石の時には、あまりの痛さに気が遠くな
り、その後は痛みをあまり感じなかった。


「ああ、そうか、人間というのは耐えられない痛みは
無いのだな。その前に気が遠くなるのか!」とおもっ
たものだ。


でも、2度目の今度はそれほどの痛みは無い。数分ご
とに来る発作の痛みの比較もできる。そして待つ。


やがてその痛みがやってきた。


私が苦しみ出すと、看護婦さんが傍に来てくれて、ベッド
の上で丸くなって痛みに耐える私の腰をさすってくれた。


おお!・・・痛みが少し和らいで来るではないか!


最初は「さすが若い女性の力はすごい。それとも私が女
性に弱いのかな?」と思った。そして、その痛みを乗り
切るとまた小康状態が来る。


でも、今度は「次の痛みを越えられる?」という不安が
少なくなっていることに気がついた.もしかすると次の
発作で看護婦さんがさすってくれると痛みはそれほどで
はないのではないか?と思うと不安感は減ってきたのだ。


やがて予想通りに激痛がやってきて、看護婦さんがまた
優しくさすってくれる.私は痛みの中で「さすってくれ
なかった時と、今とどちらが本当に痛いのだろうか?」
と考えた.


「俺も科学者だ。そのぐらいは客観的に判断しなければ・・」
そのぐらい分からなければ俺も一流の科学者とは言えない。
冷静になるのだ、痛みが激しくてもデータだけは取ろう!


そして・・・


看護婦さんがさすってくれると、明らかに「痛み」自身が
減る.それに加えて「痛みを克服できる」という確信がわ
いてくるのだ。


・・・・・・・・・


人間は故障する.故障は、体が壊れたり、ある時には心が
病む。心が故障したときに、私たちは心をさすってあげな
い。心に手が届かないこともあるけれど、目に見えないか
ら「心も故障する」ということの実感が無いのだ。


だから、苦しんでいる人を非難したりする.心が痛んでい
る人を非難するというのは、「傷を叩く」ようなものだ。
痛くて痛くてたまらない傷、それを時としてあの優しいお
母さんまでが子供の傷を叩くのである。


心の傷はなでてやりたい。


傍にいる人にも心の傷は見えないけれど、それをさすってあ
げたい。


辛いと言って泣いている人を慰めてはいけない。もちろん
叱ってもいけない。理由を聞いてもいけない。


じゃあ、傷ついた心をさするのはどうしたら良いのか?


なにも言わない。なにも聞かない.ただ、自分も一緒に泣く。
辛いと泣いている人より大きな声で泣く.


傷ついて痛いと泣いている人の横で、自分も泣く.ただそれ
だけだ。


・・体の痛みはさすってくれることによって和らぐ.そして
その痛みを超えられるという気持ちがわく。


・・心の痛みをさすってくれれば痛みを和らぐ.そしてやがて
その人は痛みを克服して元気になるだろう.