貧者の一灯ブログ

マイペースで自己満足のブログを投稿しています。

貧者の一灯・歴史への訪問














※…
ある日、二人はそろって粟(あわ)の穂(ほ)を取
りに出かけました。  


ところが小僧さんは大きくて取りやすい物ばか
り選んで、小さくて取りにくい穂は全部残して
いきます。  


それを見た和尚さんが、小僧さんに注意しました。


「こら! なまけないで、小さい穂も取りなさい」
すると小僧さんが、負けじと言い返しました。


「和尚さま。この小さい穂はへくさ穂といって、
とてもくさくて食べられたものではありません。


だからわたしは、わざと取らないようにしてい
るのです」 「ほう、そうか。なら、へくさ穂が
どれだけくさいか、わしが試してやる」  


こうして大きい穂の粟飯と小さい穂の粟飯をた
きわけて、へくさ穂と言われた小さい穂がどれ
だけくさいかを試すことになったのです。  


もちろん、へくさ穂なんてうそだったので、小
僧さんは困ってしまいました。


(どうしよう。小さい方がくさくないと、和尚
さまに怒られてしまう。


なにか、うまい方法は・・・。そうだ)  ゆら
ゆらとおいしそうに炊きあがる湯気を見て、小
僧さんはある名案を思いつきました。  


小僧さんは小さい穂の粟飯のおかまのふたを開
けると、 (へっへへ。これならくさくなるぞ) と、


お尻を突き出して、♪ぷーー と、おならをして、
すぐにふたを閉めたのです。  


さて、粟飯が炊きあがると、小僧さんは何くわ
ぬ顔で和尚さんを呼びました。


「さあ、和尚さま。わたしの言葉が嘘か本当か、
しっかりと確かめて下さい」


「ほう。自信ありげだな。だが、ふたを取れば
わかることだ」  


和尚さんはまず、へくさ穂のなべのふたを取り
ました。すると湯気と一緒に、小僧さんがした
くさいおならのにおいがぷーんと立ち上って来
ました。


「うむ、確かにこれはくさい」次に大きい穂の
なべのふたを取ると、こちらは美味しそうない
いにおいです。


「なるほど。確かに、お前の言う通りだ」  


和尚さんはすっかり感心して、それからは大き
な穂ばかり取らせたという事です。。…










※…
お袋は元々ちょっと頭が弱く、よく家族を困ら
せていた。


思春期の俺は、普通とは違う母親に腹が立ち邪
険に扱っていた。


非道いとは自分なりに認めてはいたが、生理的
に許せなかった。


高校を出て家を離れた俺は、そんな母親の顔を
見ずに大人になった。


その間、実家に帰ったのは3年に1回程度だった。



※…
俺もそれなりの家庭を持つようになったある日、
お袋が危篤だと聞き、急いで病院に駆けつけた。


意識が朦朧として、長患いのため痩せ衰えた母
親を見ても、幼少期の悪い印象が強くあまり悲
しみも感じなかった。


そんな母親が臨終の際、俺の手を弱々しく握り
こう言った。


「ダメなお母さんでごめんね」 精神薄弱のお袋
の口から出るには、あまりにも現実離れした言葉
だった。


「嘘だろ?今更そんなこと言わないでくれよ!」
間もなくお袋は逝った。



その後、葬式の手配やら何やらで不眠不休で動
き回り、お袋が逝ってから丸一日過ぎた真夜中
のこと。


家族全員でお袋の私物を整理していた折、一枚
の写真が出てきた。


かなり色褪せた何十年も前の家族の写真。


まだ俺がお袋を純粋に大好きだった頃。 皆幸
せそうに笑っている。


裏には下手な字(お袋は字が下手だった)で、
家族の名前と当時の年齢が書いてあった。


それを見た途端、何故だか泣けてきた。それも
大きな嗚咽交じりに。 いい大人がおえっおえ
っと泣いている姿はとても見苦しい。


自制しようとした。でも止めどなく涙が出てきた。
どうしようもなく涙が出てきた。


俺は救いようがない親不孝者だ。


格好なんて気にすべきじゃなかった。やり直せ
るならやり直したい。 でもお袋はもう居ない。


後悔先に立たずとは正にこれのことだったんだ。


その時、妹の声がした。「お母さん、笑ってる!」
皆が布団に横たわる母親に注目した。


決して安らかな死に顔ではなかったはずなのに、
表情が落ち着いている。 薄っすら笑みを浮かべ
ているようにさえ見えた。


「みんな悲しいってよ、お袋…。一人じゃない
んだよ…」


気が付くと、そこに居た家族全員が泣いていた。



※ …
あれから俺は事ある毎に、両親は大切にしろと
皆に言っています。 ご健在であるならば是非
ご両親を大切にして欲しい。


でないと、俺のようにとんでもない親不孝者
になっちゃうよ…。